気づきの伝道師 藤井一規です。
誠実な人ですね。
多くの人が言われたい言葉のひとつかもしれない。
しかし、誠実な人であることは本当に良いのか?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「自分自身を信じている者だけが、他人にたいして誠実になれる」
by エーリッヒ・フロム(独の社会心理学者、精神分析者、哲学者)
誠実な人というと、最高に素晴らしい人のように思うひともいるかもしれない。
しかし、誠実一本の人がいるとしたら、
真面目過ぎて堅苦しいと感じる人もいるのではないだろうか?
誠実さについて、もうしばらく掘り下げていく。
<誠実な人>
女性に好きな男性のタイプは? と聞くと、
1位は「やさしい人」
2位は「誠実な人」
だったりする。
確かに、誠実であることは信頼できるし、期待もできそうだ。
ところが、誠実であろうとして真面目一本だとすると、
つまらなかったりする。
多くの女性が「誠実な人」がいいと言いながら、
ワイルドさや、ちょいワルな感じに魅力を感じたりするのも事実。
笑いをたくさん生み出してくれる人も人気だ。
どうも、そう単純ではないようだ。
<淫らさ>
どうやら人は、淫らさにも惹かれるところがある。
ただ淫らであれば何でもよいのとは違って、有能であることが条件に加わる。
有能な人が見せるちょっとした淫らな面が魅力になる。
単にワイルドであるとか、ワルそのものだと困るが、
ちょいワルであることがポイントだったりする。
ちょっとなのが効いている。
学校の先生だって、真面目一本だけだったら、
嫌になってしまうのではないだろうか?
お楽しみを持たせてくれたり、多少は脱線したりすることも
魅力ある先生の条件だったりする。
どうも、私たちは自分に都合の良いところについては、
他人に誠実さを求める傾向があるようだ。
<何に誠実か>
しかし、よく考えてみると他人に対して誠実であろうとすると、
どこかで限界が来ることに気が付く。
自分のエネルギーを、誠実であろうとして他人にむけて使うばかりでは、
自分の心や身体が疲れてしまっていても
いたわることができなくなる。
家族のため、仕事のためといって、
心身を削ってしまっている人も多い。
もっと自分自身に誠実であっていいのではないだろうか?
他人に誠実である前に、自分に誠実でありたい。
自分で誠実でいたうえで、余裕をもって
誰かに誠実さや有能な淫らさを分けていけばよさそうだ。