気づきの伝道師 藤井一規です。
自らの手で社会変革を押し進めることができるとしたら、
自分の都合の良いようにと考えてしまいやすいでしょう。
自ら自分を苦しくしようとはしません。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬというような人物は処理に困るものである。このような手に負えない人物でなければ、困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない」
by 西郷隆盛(武士、軍人、政治家)
明治新政府は、大変革をすすめていった。
社会の仕組みを変えるチカラを持っているとしたら、
自分に都合がよいようにと考えてしまったりする。
新政府に関わっていた西郷の言葉、
もうしばらく掘り下げていく。
<汚職>
明治維新を押し進めた新政府は、
自分たちが決めたことが、社会で実現していくという立場にあった。
そうなると、二つの案があって、あなたが選んでよいとなれば、
どちらがより自分に都合がよいか?
という発想になったりする。
どちらがより日本という国のためになるか?
という発想は、忘れ去られてしまいがち。
西郷隆盛が新政府から一度野に下ることを考えたのは、
私利私欲にまみれている政府関係者の多いことが一因と考えられる。
<私利私欲>
誰しも、自分に有利に物事が運ぶことを望む。
新政府では収入源を断たれて苦しんでいる、
元武士たちのことなど、全く顧みずに高給を貪ったり、
商業資本家と手を結んで、
彼らに都合の良い施策を打って見返りを得たりと、
残念な汚職が横行するという事態になっていった。
人はつい欲に踊らされてしまいがちなもの。
欲に目がくらんで、
自らを律するものを失い、
醜さをむき出しにしてしまったりする。
<自分を律する>
誰しも欲に流されてしまうことってある。
ときに、善意の第三者から見て
自分の姿がどのように見えているか?
振り返ってみたほうが良さそうだ。
こう問いかけてみる。
欲にまみれて、醜い姿になっていないだろうか?
もし、高潔な神様が見ているとしたら
自分は美しい在り方ができているだろうか?
何も修行僧のようになる必要はないけれど、
自分が堂々と胸を張っていられるかどうか、
ときに振り返ってみる必要はきっとある。