気づきの伝道師 藤井一規です。
生まれてきたからには何事かを為したい、
多くの人がそう考えたりします。
ところが、なかなか満足いかなかったりします。
それは、どこに理由があるのでしょうか?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ」
by 伊藤博文(武士、政治家)
何か新しいことや大きなことを為そうとすれば、
困難にぶつかったりするもの。
そんなとき、インスタントに正解を得ようとしたり、
誰かに頼って、自ら解決しようとしなかったりしていたら、
永遠に答えが得られない可能性が高くなる。
どうしていけば良いのか、
もうしばらく掘り下げていく。
<何かを為す人とは>
この世に生まれてきて、これをやった!
と胸を張って言えるって素晴らしい。
自分の生まれてきた意義を感じられる。
しかし、多くの人は自分探しの旅に出たまま、
日々に流されてしまっていたりする。
これだ!って見つけられても、うまくいかなかったという人もいるかもしれない。
誰かと比べたら、たわいもないことだと思ってしまう人もいるかもしれない。
本音で自分の人生で自信をもってこれをやった!
と言える人とは、どんな人なのだろうか?
<何かを為すとは>
自分探しの旅の途中にいる人も、
目的を見つけた人も、何かに取り組むことがあるはずだ。
そのとき、いったいどのような思いで取り組むだろうか?
取り組み始めたら、困難や課題にぶつかることがあるし、
どんなに頑張っても、結果としてはうまくいかないこともある。
これは誰にでも起きることだ。
こういったときにどう受け留め、どうしていくかで、大きな違いが生まれてくる。
もし、困難にぶつかったときに、
すぐに放り出したり、何もせずにあきらめたりだったとしたら、
ベストを尽くしたとは言えない。
どんなことであっても、どんな結果だったとしても、
もし、私は自分のベストを尽くした、と言えるとしたら、
それは素晴らしい時間だったと言えるのではないだろうか?
ベストを尽くした結果であれば、
たとえうまくいかなかったとしても、やり切ったと思える。
何かを為すとは、単に望ましい結果が出たかどうかではなく
ベストを尽くすことなのかもしれない。
<自分が責任を>
何事でも自分が結果に対して責任を負っているとしたら、
なんとかしようという気持ちが起きてくる。
自分に何ができるのか考えてみる。
もちろん自分だけでは解決できないこともあるかもしれない。
そんなときは、誰かの助けが得られるように、自分が働きかける。
そしてそのまま、誰かに丸投げするのではなく、
進みが悪ければうまくいくように自らが動く必要がある。
自分のベストを尽くすことが大事。
結果がどうだったかは二の次の問題なのだ。
<何かを為す人は責任を負える人>
それに、どんなことであってもベストを尽くせる人は、
成果を出す確率が高くなる。
もし結果が出なくても、ベストを尽くしたのならきっと納得できる。
そしてベストを尽くす人は、責任を負っている人だ。
何かを為す人は、自ら責任を負うことができる人なのだ。