気づきの伝道師 藤井一規です。
人は誰かとの関係なしには生きてはいけません。
社交辞令も役に立つものですが、
文字にすれば美しくても
伝わってこない言葉もあったりします。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「口先ばかりの優しい言葉は何の役にも立たない」
by チャールズ・モンロー・シュルツ(米の漫画家)
誰かの言葉で、心が救われたり、気持ちが和んだりするような思いを
どれだけしているだろう?
そんなことを考えさせられた。
表面的な付き合いだけになってはいないだろうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<社交辞令>
だれもが社交辞令的な挨拶が交わされる経験をしているだろう。
もちろんこうした挨拶にも意味がある。
顔を合わせて、にっこり笑顔になるだけでも、会釈するだけでも
一緒にいることに安心できたりする。
それに笑顔になることは、笑顔につながる気持ちを抱くことでもある。
心と身体とは切り離すことができないからだ。
型どおりの挨拶だけだったとしても価値がある。
<役に立たないのは>
では、役に立たないのは何だろう?
表情やしぐさと違って言葉は、
ときに気持ちや思いとは、かけ離れたものになることがある。
「大変そうですね」
そう言葉をかけたとしても、
相手のことを本気で心配したり、同情したりしているときあれば、
冷たく突き放しているときもあり得る。
言葉は同じでも、
天と地ほど違うってことがありうるのだ。
<口先だけでは>
だから、口先でどんな言葉を発するか、
ということよりも、
どんな思いでいるのか、どんな気持ちでいるのか
のほうが遥かに大事だったりする。
薄っぺらい言葉だけを受け取っても、
心には響いてはこなかったりする。
人間は、言葉という素晴らしい道具を手にいれたけれど、
言葉だけでは、意味をなさないことがあるのだ。
<ここにいて、相手への気持ちを乗せて>
伝わらない言葉には、
冷たい感覚のものの他に、心ここにあらずの状態というものもある。
言葉が意味を持ってくるのは、
今ここに存在していることと、
相手のことを思いながら発するかどうかだ。
自分のことを主張したいから話し続けるような場合も、
相手への気持ちに欠けていると言っていいだろう。
伝わる言葉を発するようにしたいもの