気づきの伝道師 藤井一規です。
怠惰は避けるべきこととして考えられています。
しかし、怠惰を真剣に求めていくと怠惰ではいられなかったりします。
しばらく掘り下げていきます。
<ブログリンク>
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コンタクト先
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「怠惰を求めて勤勉に行き着く」
by 阿佐田哲也(作家、麻雀士)
怠惰と勤勉、全くかけ離れているようだけれど、
怠惰でいようとすれば、怠惰であることに勤勉である必要があったりする。
もうしばらく掘り下げていく。
<怠惰が尊ばれる?>
一般に怠惰というと、何も生み出さない、
嫌われる状態だと言ってもいい。
しかし、プログラマの世界では、怠惰は称賛されるもののひとつなのだそう。
Perlというプログラム言語を生み出した Larry Wall は、
「プログラマの三大美徳」として、「怠惰、短気、傲慢」をあげている。
どれもが、普通なら避けるべきとして考えられがちなものだ。
しかもなんと、怠惰がトップなのだ。
なぜなら、プログラムを組むうえで、作るコードは少ないほうがいい。
何か問題があっても調べる対象は少なくて済むし、
改造においてもまた同様だ。
たくさん怠惰でいようと考えたら、
後々も怠惰でいられるように、最初から
真剣に考えておく必要があるというわけだ。
<雀士として>
阿佐田哲也はプロの麻雀士としても活躍した。
一攫千金の可能性のあるプロ雀士は、
日々会社のために勤務するサラリーマンのような勤勉さを避け、
やりたいときにやって、怠惰に生きようと考えたからと思われる。
乗るか反るかという、ギャンブル性を求めていたのかもしれない。
しかし、強くなれなければプロではいられない。
そう、強くなろうとすれば、そのために努力をしなければならない。
今日の言葉は、麻雀ではサイコロを振って、出た目によって
勝負を変える可能性があるため、
自分の思う目を出せるようにするために、
熱心に練習しているときの会話からの言葉だ。
怠惰であろうとしたはずが、勤勉になっている。
怠惰を確実に得ようとしたり、怠惰を究めようとすれば、
勤勉になる必要が出てくる。
<求めようとすれば>
怠惰なことであろうと、真剣に怠惰であろうとすれば、
自然に勤勉になっていく。
どんなことでも、求めようとするときは自然に懸命になる。
熱意をもって取り組むことは、
どんなことであってもできることだし、
その熱意は活かすことができるに違いない。