気づきの伝道師 藤井一規です。
人は誰でも認められたいと思っています。
生きていく上で認められることは、大変重要な意味を持ってきます。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「人は批評してくれというが、称賛を欲しているだけである」
by ウィリアム・サマセット・モーム(英の小説家、劇作家)
確かに批評して欲しいと言いながら、
実はたっぷり誉めて欲しいというケースはあるようだ。
それに、誰もが賞賛を欲しいと考えているのは確か。
もうしばらく掘り下げていく。
<批評してくれ>
批評してください。
この言葉はときに判断に迷う。
改善のための批判的な言葉が欲しい、というケースもあるのだが、
そうすると、とても不服そうな顔をされることがある。
何度も会っている相手なら、
あ、今日は批判的なものを求めているな、
あ、今日は褒めてもらいたいらしい。
ということがなんとなくわかるようになるが、
初めての相手だったり、単にメールなどの文面だけだと
判然としなかったりする。
なので、無難なところは、褒めるところを多めに、
少し改善点を盛り込むといった、両面作戦だ。
人は誰かに認められたいと思う生き物だ。
<とある論文作成トレーニング>
批評してください。と聞いて、
とある論文作成トレーニングのことを思い出した。
課題は、論文を仕上げることだったのだが、
条件として、論文をブラッシュアップするために、
何人かの上位者の指摘を受けなさいというものだった。
まず書き上げて、一人に見せると、
あれこれと指摘をしてくださる。
なるほどと思ったり、え、そうなの?と思いながら
OKが出るまで何度か出し直す。
やっとOKが出たと思って、
別の人に見せると、いやこれじゃダメだ、
こういう方向にしなさい。と言われる。
また何度か直してOKをもらって、
次の人に見せると、また方向が違うと指摘が。。。
そのうち、書き直したものは私の言いたいことだったのか?
何かなんだかわからなくなっていく。。。というものだった。
そのうち、本当にそうだなと思ったり、
文章の意味がよりよく伝わるようにするための指摘以外は、
誰かの意見に振り回される必要なんてないのでは? と気づく。
何とも手間のかかる、回りくどいやり方だったが、
「自分がどう考えるか」をしっかり持たせようとするトレーニングだった。
<批評と称賛>
人は称賛を求めている。
そのために必要な批評を加えたり、受け入れることも大切なことだ。
たとえどんな批判がなされても、それを取り入れるかどうかは、
自分が決めていけばいい。
とても重要な批判的な指摘を受けても、
その価値に気付けないこともある。
人は、そのときの自分のレベルに見合った分だけしか
理解できないからだ。
それは、それでやむを得ない。
またいずれ、気づくときがやってくる。
ただ、どんな批判にも一理あると知ってはおきたい。