気づきの伝道師 藤井一規です。
天才と呼ばれる人たちがいます。
しかし、そう呼ばれていても実体は違ったりします。
天才とはどんな人たちかを考えながら、
私たちはどうしていけばいいか、
しばらく掘り下げていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/20684/
コンタクト先
https://www.facebook.com/kazunori.fujii.167
この記事の目次
「天才なんかあるものか。僕は他人がコーヒーを飲んでいる時間に仕事をしただけだ」
by 魯迅(中国の小説家、思想家)
天才だから優れている、という人もいるかもしれない。
しかし、そうではないかもしれない。
天才と呼ばれながらも、多くの場合は人よりも多くの努力をしたり、
時間をかけることによって実現していることが多い。
もうしばらく掘り下げていく。
<天才と努力家>
福原愛さんは、天才卓球少女と呼ばれていた。
しかし、テレビに映し出された彼女の姿は、うまくできなくて
泣きじゃくりながらもなおラケットを振り続ける彼女の姿だった。
同じように、多くの天才と呼ばれる人たちの多くは、
天才というよりも努力家という方が当たっている。
では、天才と呼ぶにふさわしい人たちとはどんな人だろう?
ハンガリー出身の世界的な数学者、ピーター・フランクルは、
自身が出会った天才の例として、
驚異的に頭の回転が早く、一を聞いて十を知るタイプである
ラースロー・ロヴァース氏と、
独創的な発想で難事を解決してしまうボイタ・レードル氏を挙げている。
そして、真の天才とはレードル氏ではないかと言っている。
<常人の物差しでは測れない>
レードル氏は決して優秀な学生ではなかった。
むしろ、公式や解法を暗記するような作業は苦手で、
問題を早く、正確に解く能力においては、劣っていさえしたという。
日本の大学なら数学科に合格できなかったに違いないとさえ。
ところが、どこから手を付けて良いかわからないような難題を前にしたとき、
ビックリするような発想で解決してしまったりするというのだ。
こうした常人のやり方とは全く違うアプローチを
誰かに教えてもらったわけではないのにやってのける人たちが
天才と言えそうだ。
<他人がコーヒーを飲んでいる間に>
だから、ほとんどの人は天才とは違っていそうだ。
となれば、どれだけ努力を楽しめるかが大きなカギを握ってくる。
他人がコーヒーを飲んでいる間に何かができれば、
その分先に進んでいける。
自分ではできないところを
誰かに助けてもらうということも、
どちらかというと天才たちが苦手とするところだ。
あと、もしせっかく天才が傍にいるのに、
自分の基準を満たさないからと言ってその能力をつぶすのではなく、
活かすようにすることも覚えておきたい。