気づきの伝道師 藤井一規です。
人生はシビアなものだったりします。
ときに残酷なこともあります。
かわいそうだからと言って、手心を加えてはくれなかったりします。
では、自分の期待を現実のものとしていくには、
どうしたらよいのでしょうか?
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「人生には、わたしたちが期待するものを与えなきゃいけないなんて義務もない」
by マーガレット・ミッチェル(米の小説家)
人生が私たちにしてくれることってあるだろうか?
ただ漫然と暮らしていても、この人をこうしてくれよう
と考えたり、行動したりするだろうか?
もうしばらく掘り下げていく。
<人生>
人生がその人そのものを変えようとするだろうか?
当人が何もしようとしていないのに、
人生の思惑によって、何かが起きていくだろうか?
どうもそんなことは起きない。
自分が考えて決めたり、何か行動するから
人生に新たな記録ができていく。
人生のほうが、当人を慮るということはなさそうだ。
<期待>
私たちは、この先何かいいことが起きないだろうかと
期待していたりする。
何かいいことないかな?
楽しいことないかな?
そのとき、どうやら大きくタイプが分かれるようだ。
いいことや、楽しいことが、やってきたり、
誰かから与えてもらえないかなと、待っているタイプと、
いいことや、楽しいことを自分から探し、見つけ、
実際に行動していくタイプとに。
<いいこと、楽しいこと>
何気ない会話の中に、
「最近つまらなくて・・・」「楽しくないんだよね・・・」
という言葉が出てくることがある。
それはひょっとして、人生の方からその人のほうに
何か与えてくれるのを待っているって可能性がある。
しかし、人生が思いやりを持って
あなたにいいことや楽しいことを持ってくるってことはなさそうだ。
<自分が作り出す>
私たちは生まれてきて、与えられることに慣れる。
与えられなかったら、生きていくことはできない。
そして、身についたその習慣を
去ることがなかなかできなかったりする。
しかし、いつかは自分が作り出し、
自分が与える側になっていく必要がある。
都合の良いものを与えられるのを待っていても、
与えてもらえるとは限らない。
少なくとも、人生にはそんな義務はない。