気づきの伝道師 藤井一規です。
人は誰でも、自分の存在を認めてもらいたいと思っています。
自分が生きていたという証を残したい。
と望んでいたりします。
しばらく掘り下げていきます。
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「時の記憶からあなたが消える日はない」
by ウェルギリウス(古代ローマの詩人)
自分の存在を大事にしてもらいたい、
という気持ちは誰にでもある。
自分がいたことは、時の記憶にいつまでも残っている。
もうしばらく掘り下げていく。
<自分の存在価値>
人は生物として生まれたのち、いつかは死を迎えることになる。
人間は人とのかかわりの中で、自分の存在価値を認められたいと考える。
生まれてきた意味を求めたり、
自分が生きた証を残したいと思うのは、
自分が存在したことを認識してもらいたい。
存在した価値を認めてもらいたい。
こうした思いがあるからだ。
自分の価値を感じられることは
一大事なのだ。
<時の記憶>
一人の人が存在したことを
人の記憶は覚えておける。
人の死は、その人のことを覚えている人がいなくなった時だ。
と言われたりする。
しかし、いずれはあなたを直接知っている人はいなくなっていく。
歴史に残るような文書に書かれたら、
後世にも名を残すことができるかもしれない。
ときに凶悪犯罪の犯人は、自分の名を知らしめるためにと
犯行の動機を語ったりする。
さほどに、自分の存在を知らせたい、残したいという思いは切実だったりする。
しかし、時には記憶があり、
たとえ庶民の一人であっても覚えておいてくれるとしたら、どうだろう?
無理やり背伸びしなくても、
犯罪などしなくても、時は覚えておいてくれる。
<自分らしく>
自分の存在を、自分の価値を示したいと強く思うことは、
努力していく上では役に立つ。
しかし、思うようにはいかなくても
残念な結果になったとしても、
時の記憶はあなたのことをずっと覚えている。
そう考えてみると、なんだかもっと肩の力を抜いてもいいと思えてくる。
あなたを知る人が一人もいなくなっても、
あなたが存在したことは、残り続けている。
そう考えると、罪を犯してまで有名になる必要なんてない。
もっと自分らしく生きていくことを考えられるかもしれない。