気づきの伝道師 藤井一規です。
問題なことを問題だ、とすることは大切なことだ。
問題ではないかな。。。と思いつつ放置することは、
問題が大きく拡がって、取り返しがつかなくなってしまいかねない。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める」
by マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(米の牧師)
問題があるとわかっているのに放置することは、
その問題がどんな悪い事態に発展してもよい、
と考えることにつながっている。
もうしばらく掘り下げていく。
<問題の放置>
問題があるとわかっているとき、
それが、どういうことを意味しているか、
まず考える必要がある。
たまたま、そこでだけ起きていることなのか、
被害が拡大していくようなことなのか。
今回の新型コロナウィルスでは、異常な肺炎が発生していることを
世界に知らせるのが2か月遅れたと言われている。
大問題が起きていることを知りながら、
自分たちが叱責されるのを怖れた人たちによって、
問題を公にしないようなことがなされていた。
もし、2か月前にわかっていたら、
世界的なパンデミックになる前にコントロールできていたかもしれない。
問題を問題だ!としないことは危険なのだ。
<見て見ないふり>
世の中で恐ろしいことは、
ひどいことを起こす悪人がいることよりも、
ひどいことが起きていても、見て見ぬふりをする善人が増えたときだ。
問題が明らかになっていれば、
対処のしようもある。
自分の手におえなければ、助けを呼べばいい。
見て見ないふりをしたことによって、
手に負えない状況にしてしまいかねない。
<命の終わりに向かう>
問題になっていることを問題だとしないのは、
どうなっていもいいと考えていることになる。
今回のように、事態を隠そうとした人たちは、
人間という種に甚大な被害をもたらすようなことになるとは
思ってもいなかったかもしれない。
しかし、実際には、世界で多くの命が失われ、
大きな混乱がおきていく。
地球温暖化についても、問題を問題としてとらえない人たちが
たくさんいるような状況では、問題を治めることはできない。
まさに命が終わっていくときの症状なのだ。