気づきの伝道師 藤井一規です。
貧しさと贅沢とにはどんな関係があるのだろう?
お金は持っている額に比例して幸せになれるというものではありません。
お金と幸せとの関係についてしばらく考えていきます。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう」
by ジャン・コクトー(仏の芸術家、詩人、小説家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家)
贅沢な貧しさ、という言葉が印象的なこの言葉。
富と幸せとの関係を考えるきっかけになりそうなので、
、
もうしばらく掘り下げていく。
<貧しさ>
給料日を指折り数え、
その日を待ち遠しく生きている状態でいるとすると
どこかで金勘定が働き続けている状態だと言える。
自転車操業的になっているときは、
目の前のことで精いっぱいになっている。
懸命になっている分、不安はあるが恐怖はむしろ少ないかもしれない。
家賃、光熱費を支払うのも大変だとしたら、
支払うことは悪のように感じられるかもしれない。
ということは、どんな悪いことに支払うか、
という選択をして生きていくことになる。
そして、たくさん収入を得ることができないことから、
自分にはその価値がないからだ。
と思い込んだりすることがある。
金銭的な貧しさのはずが、心理的な貧しさになってしまったりする。
<少し稼げるようになると>
その状態をなんとか抜け出して、
少し稼げるようになると、
お金の使い先の自由度が出てくる。
今までは、もしものために保険を掛けようとか、
将来のために貯金しようとか、投資をしようとか
考える余地もなかったが、
今度は、どんな望ましいことのためにお金を使うか?
という選択肢が得られることになる。
ところがもし、自分には価値がないと思い込んだままでいると、
収入を得ることは、それに反することになるため、
気づかないうちに、自分が収入を得ることを
自分自身が妨害してしまっていることがある。
そう。実は、自分には価値があると考えることが、
金銭的に貧しい状態を抜け出した多くの人の根源になっていたりする。
<お金と幸せは比例しない>
稼ぐことができるようになると、
お金は増えていくが、そのうちお金の多さと、
幸福感とは比例しないことに気が付く。
同じ金額を得られた時でも、
今日の生活費がない状態で得たときと、
ある程度余裕があるときに得るのとでは、
意味合いが全く違ってくる。
ある程度は必要不可欠だが、それ以上になってくると
お金の量に幸せの量は比例しなくなる。
もちろん、お金の使い先を選択することができ、
贅沢なことをすることもできるようになるのは幸せだ。
しかし突然、大金持ちになった場合、
これまでの反動的にお金を使ってしまい、
却って身を持ち崩してしまうような場合がある。
お金とうまく付き合うことができないままになったりするのだ。
贅沢な貧乏さという言葉が示す状態のひとつかもしれない。
<心の在り方>
また、人は何かが得られた後、今度は、失うことが恐くなったりする。
望ましいことを選択できるようになった今を失いたくない。
どこかで、恐怖心を抱えてしまったりして、
心の貧しさが再び現れたりする。
どうやら、お金の多寡に関係なく、
心の豊かさについて、もっと意識をしたほうがいいかもしれない。
貧しいからとお金にばかり意識を向けたり、
金持ちになったからと、贅沢を自慢したり、
得たお金を失わないように、損は一切しないように血眼になったりするのは
考えもののようだ。
お金があってもなくても、
心の豊かさ、人の心の温かさを感じられるようになっていきたいものだ。