気づきの伝道師 藤井一規です。
自分がどれだけ頑張っても、
どれほど心を砕いても、
世の中を変えることはできない。。。
そんな無力感に囚われることってあるかもしれません。
しかし、そんなことでも取り組むことには大きな意味があります。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「私たちがやっていることは大海の一滴にすぎないことは、私たち自身感じています。しかし、大海はその一滴分は少なくなっているのです」
by マザー・テレサ(修道女、教育者、平和運動家)
マザー・テレサでさえ、自分たちの取り組みは、
世の中を変えるどころか、大海のなかに一滴を注ぎ込むようなものだと考えていた。
しかし、だからといって何もしなくていいのとは
大きく違うと考え、取り組み続けていった。
もうしばらく掘り下げていく。
<ハチドリの一滴>
南アメリカのアンデス地方に、こんな物語があるそうです。
森が燃えていました。
森の生きものたちはわれ先にと、逃げていきました。
でもクリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、火の上に落としていきます。
動物たちがそれを見て「そんなことをして、いったい何になるんだ」
と言って笑います。クリキンディはこう答えました。
「私は、私に出来ることをしているだけ」
<大海も一滴から>
もちろん、森の火災を消し止めることができることがベストだけれども
自分だけが頑張っても、変わらないからと
森を見捨ててしまっていいものだろうか?
自分一人でできることは限られていても、
見て見ぬふりをしていては何も変わらない。
確かに、大海に一滴を注いでも大きな変化は期待できないけれど、
一滴注ぐことに共鳴する人が現れることで、
きっかけの一滴は、無限に増えていく可能性がある。
大海もまた、一滴一滴が集まってできていることを忘れてはいけない。
あなたの一滴が、何かをもたらす可能性を持っている。
<自分のできることを>
気づいた人が、大事な一滴を注ぐことは、
とても大切なこと。
初めから結果を想像して、あきらめたり、
放棄したり、見て見ぬふりをするなんて残念なこと。
目の前の一人を大切にすることが、
多くの人を大切にすることにつながったりするように、
とるに足らないことのように思えても、
自分の心が叫ぶことに素直になることは、
生きていく上で大事なことだ。