気づきの伝道師 藤井一規です。
もし、あなたの人生について語ってください。
といわれたとしたら、
あなたは何をどんな風に語るでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「ドラマとは、退屈な部分がカットされた人生である」
by アルフレッド・ヒッチコック(英の映画監督、映画プロデューサー)
自分の人生を語るとき、おそらく大きな出来事に絞って
誰かに伝えることになる。
実際には、退屈な部分がたくさんあっても、
そこは表されないだろう。
逆に言えば、映画みたいな人生にもたくさんの余白がある。
もうしばらく掘り下げていく。
<映画と人生>
映画を語るとき、ヒッチコックは巨匠のひとりとして数えられる。
映画は人生を表しているといえる。
実際の人生を描こうとすれば、
生まれてきてからの長い期間があるはずだが、
まさか同じだけの時間をかけて表現することはない。
人生のダイジェスト、取り上げたい部分だけを表現することになる。
映画で表現されている部分は、人生のほんの一部分だということは、
人生において、無駄に思える時間、
苦しんでいる時間も、
あって構わないことを示している。
<仕掛け>
今は答えが見いだせないで苦しんでいるとしても、
いずれ答えをみつけ、ハッピーになることができれば、
ハッピーエンドの映画にすることができる。
辛い状況も、映画をおもしろくるための試練だったり、
どうなってしまうのだろうと、観客をドキドキさせる仕掛けだって
考えることができる。
そう考えてみると、今はどんなに大変でも
振り返ればいい人生だったと、思えるようにすることができるはずだ。
演出の都合上、起きている大変さだと思えば、
気持ちが少し楽になるかもしれない。
<どんな人生にするか>
自分の人生は、自分が決められる。
自分が主演の作品なのだ。
ときに運という演出家が悪さをすることもあるけれど、
工夫し、努力し、最高の作品になるようにしていきたい。
ハッピーエンドになるように、
あきらめずに進んでいきたい。
描き切れない部分はあってもいい。
下手くそなところがあっていもいい。
幸せなラストシーンになるように
努力していけばいいのだ。
できることはきっとある。