気づきの伝道師 藤井一規です。
誰かのことを思って、
何とかしてあげたいと思うことってあるものです。
そして相手のことを思えばこそ、
相手を変えようとしてしまうことがあるものです。、
しかし、それではうまくいかなかったりする。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「誰かを変えようとしているようじゃ、人は愛せない。『幸せ』っていうのは、相手をそのまま受け入れることで得られるものなの」
by ジェシカ・シンプソン(米のファッションデザイナー)
私たちは良かれと思って、相手を変えようとしてしまう。
相手のためのを思ってのことであっても、
ありのままを受け留め、愛することができずに、
否定してしまったりするのだ。
愛とはありのままの相手に向けられるもの。
もうしばらく掘り下げていく。
<相手のために>
相手への思いが強いがゆえ、
幸せになって欲しい、よりよくなって欲しいと思ったりする。
相手のことを心から思って、変わって欲しくなったりする。
しかしながら、変わらせようとすることは、
現時点の状態を否定することになっていたりする。
今のままの誰かに、「ダメ」を出すことになっていたりする。
今のままのあなたでは、認められませんよ
と言っているようなものだったりする。
<人が変わるとき>
人が変化するときは、
本人自身が変わりたいと思い、
そのための努力をしたときだ。
無理やり変わりなさいと、押し付けても、
表面的には従ったようでも、
心の中では、矛盾を叫んでいたりする。
誰かを変えようとするときは、
こうした歪みを相手に強制しようとしているときなのだ。
そして、相手はそうそう変わっていかず、
お互いにイライラを募らせてしまったりする。
<ありのままを>
誰かを愛するということは、
何かの条件をつけて、こうだったらば愛する。
というものではない。
美しい状態だけでなく、
残念な状態も含めて愛するということだ。
ありのまますべてを受け留めることなのだ。
愛していますよ、と言いながら、
だから変わらないとだめよと、強制したり、脅したりするようなものではない。
愛することは成長を信じるが、期待を押し付けるのではなく、
期待は手放している状態であるはずなのだ。