気づきの伝道師 藤井一規です。
例年8月6日に、平和について考える時間を持つようにしています。
そのたびに思いを新たにすることは、
私たちは平和について、あまりに考えていないのではないか?
これまでだってあまり考える機会を持っていないのでは?
ということです。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「平和は、望むものでなく作り出すものである」
by 東ちづる(女優)
平和は自分たちで作るもの。。。
望んだり、与えられることをただ待つのではなく、
生み出していくもの。
そう考えるとき、今のままでよいのか?
自分には何ができるのか?
戦争はしてはいけない!だけで終わっていて本当にいいのか?
という疑問が湧いてくる。
もうしばらく掘り下げていく。
<平和について>
ミサイル防衛構想、イージス・アショアの配備は中止となり、
大きなニュースとなった。
また、トランプ大統領が日本に米軍駐留費の大幅増額を求めたのではないか?
などという情報が流れてきたりした。
しかし、こうしたニュース、一部の人たちのもので、
なんとなく自分とはあまり関係ないもののように感じてしまっていないだろうか?
考えてみると、
私たちは、戦争はだめだ。とか、平和第一だ。とか、
「はだしのゲン」「火垂るの墓」といった映画などから、
なんてかわいそうなんだ。戦争は二度と繰り返してはいけない。
というところまでの掘り下げ方しか
していないのではないだろうか。
もちろん、戦争を肯定する気持ちなどさらさらないが、
もっと深く考える必要があるのではないだろうか。
<深く考えているか>
日本は明らかに勝ち目のない第二次世界大戦に突入した。
冷静に判断していたら、しないはずの戦争をした。
それには、どんな理由があったのか?
同じ過ちを繰り返さないための仕組みは
本当にきちんとできているのか?
考えたことはあるだろうか?
それに、日本は唯一の被爆国として
核兵器廃絶の先頭に立つことができるのに、
なぜそれをしないのか?
するメリットがあれば、しないメリットもあるはず。
今の政治の世界では、
こうした国の根幹にかかわるようなことを
ほとんど明らかにしようとはしないまま
やれ誰かが失言しただとか、不正をしただとか、ワイロがどうのとか、
といった話ばかりが目立っている。
<平和をつくるために>
私たちは平和について、深く考える機会をもっていないのが現実だ。
直観的に戦争反対!と叫んでいるだけで、
果たして平和でいられるのだろうか?
何者かが攻めてきたときへの備えは、なくて大丈夫なのか?
実質世界5位という日本の軍備について、どう考えるのか?
今、何が必要なのだろうか?
どうすれば平和を作っていくことができるのか?
もっと考える機会があってもいい。