気づきの伝道師 藤井一規です。
香港国家安全維持法が成立しました。
自由経済を謳歌していた香港が、中国による支配に入ったとも言えそうです。
国家体制を守るための制度って、なんだか違和感を感じます。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理されるな」
by ジミ・ヘンドリックス(アメリカのミュージシャン)
自分の国を大切に思う気持ちは、理解できる。
しかしそれは、国の体制のことを指しているのではなく、
自分を育んできた人たち、自然、風土、文化といったものではないか?
人民が国家権力によって管理される状態が、望ましいとは思えない。
もうしばらく掘り下げていく。
<国家>
国家と呼ばれるものがあることで、
属する人たちが、ひとつの組織として機能することはある。
現在は、こうした国と地域があることは
当たり前、常識的なことだ思われている。
国家があることで、他の国家との付き合いもわかりやすくなっているかもしれない。
しかし、国家が権力をふるうことで、
属する人たちが大きな制限を受けることになったりする。
特に、国家がその体制を守ろうとするとき、
多くの犠牲になる人たちが現れてくる。
北朝鮮もその一つだと言えるだろう。
日本も国の名のもと、戦争に走り、
多くの人々が犠牲になった過去がある。
<国家の管理>
システム化が進む世界では、個人の情報は
システムを管理する人によって握られることになる。
国家体制を守り、権力を維持しようとする人たちが現れると、
個人を管理しようと試み始める。
国が個人情報を握ろうとし始めたときは要注意。
新型コロナウィルス対策の名のもとに、
世界では国民の情報を抑えてしまおうという動きも見られた。
国は生まれたがゆえに、存続し続けようとする意思が働くが、
ときに人民にとって害になることもある。
<独立せよ>
私たちは何かに所属することによって安心感を得ている。
しかし、従うことだけを考えたりして、
自分の意思をも放棄していないだろうか?
わたしたちは、もっと独立し、
自分ならではを確立していくほうがいいのではないか?
所属するというならば、地球にというのはどうだろう?
人種、性別、年齢を超えた多様性のなかにいて、
ともに活動していく状態こそが目指す方向ではないだろうか。
所属したら安心だからと、魂を管理される状態は、避けたいものだ。