気づきの伝道師 藤井一規です。
人は認められたいという欲求をもっています。
自分の存在意義を感じていたいのです。
しかし、認めて欲しいというばかりで本当に良いのでしょうか?
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「拍手されるより、拍手する方がずっと心が豊かになる」
by 高倉 健(俳優)
拍手を浴びるような状態って、
幸福だって言える。
なんだか恥ずかしいような気持ちになるかもしれないが、
やはり、うれしかったり、誇らしい気持ちになれる。
自分の存在を価値を認められた瞬間だからだ。
しかし、拍手をする人の方が
より心豊かな状態だと言えそうだ。
もうしばらく掘り下げていく。
<認められるってうれしい>
人は誰しも、自分の存在を認められたいもの。
自分の価値をわかってもらえることは、
生きている甲斐があるというものだ。
誰かから拍手されるってことは、
望みが実現した状態の代表例だと言える。
今の自分を誇らしく思えたり、努力してよかったと実感できたり、
自分が特別な存在であることを感じられる瞬間だ。
なんだか有頂天にいる感覚かもしれない。
<認める側>
しかし、冷静になってよく考えてみると、
確かにいい気分に浸ることができるが、
独りよがりの感覚かもしれない。
反対に拍手する側は、「これは素晴らしい!」「おめでとう!」「すごいね!」
などと言った感情を伴っている。
拍手されたほうは、持ち上げられてうれしいけれど、
文字通り、なんだか地に足がついた感覚とは違う。
それに対して拍手する側は、仕方なくしている場合を除けば、
自分の中にある感情や感覚に即して拍手をしている。
心がより豊かになっていると言える。
<受けるより与える側>
拍手だけでなく、「ありがとう」という言葉もそうだ。
「ありがとう」を言われる側は確かにうれしいが、
「ありがとう」を心から言う側の方が、
より心豊かな状態にあると言える。
「愛」もまた、受け取るのはうれしいが、
誰かのために「愛」を向ける方が、より心豊かだったりする。
そう、受け取る側より、与える側の方が
より心豊かでいられるのだ。
自分の受け取りたいという欲求にばかり意識を向けず、
自分から与えることに、もっと意識を向けてもいいのではないだろうか。