気づきの伝道師 藤井一規です。
上手くいかないことがあると、人のせいにする人がいます。
そうかと思うと、どんなことも自分のせいにする人がいたりします。
果たしてどちらがいいのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/21748/
コンタクト先
https://www.facebook.com/kazunori.fujii.167
この記事の目次
「学ばない者は人のせいにする。学びつつある者は自分のせいにする。学ぶということを知っている者はだれのせいにもしない。僕は学び続ける人間でいたい」
by 三浦知良(プロサッカー選手)
上手くいかないことがあるときに、
誰かのせいにするよりも、大事なことがありそうだ。
誰かのせいにすること、学ぶということについて
もうしばらく掘り下げていく。
<誰かのせい?>
私たちは、うまくいかないことがあると、
その責任の所在に意識が向かいがちだ。
責任の所在を明らかにすると、
その所在だけに責任があり、ほかの人は責任を免れたような気持ちになる。
自分には責任がないと思うと、ほっとできる。
それは、責任がある人だけが罪を背負えばいいような気持ちになるわけだ。
そして、責任のある人を責めさえすればいいような気持ちになってしまう。
しかし、本当にそれでよいのだろうか?
<自分のせい>
ときどき、どんなことも「自分のせいだ」って受け留める人に出会ったりする。
初めはちょっと不思議だと思っていたが、
自分ではない、誰かのせいで起きたことがあっても、
それを防ぐ方法があったはずだ、と考え始めると、
そこに自分が関わる可能性があることに気がつく。
どのようにしたら防ぐことができたのだろう?
どのようにすれば、それを実現できるだろう?
と言うことに気づき、努力している人、
少なくとも努力しなければならないと思っている人は、
それが十分ではなかったことに気づき、
自分に責任があったと考え始める。
自分に責任があると考えることは、大きな進歩。
自分にはすべきことがあると考えることができるからだ。
しかし、自分ばかりが責任を負えばいいとなると、
ちょっと違う方向に行ってしまう。
自分の役割において、果たせることがきっとある。
<本当に実現したいこと>
本当に実現したいことは、
誰かに責任を押し付けて、あいつが悪いんだ!
としておけばいい、と言うわけではないはずだ。
かといって、自分の責任なんです。。。
と、すべてを引き受けてしまうことでもないはず。
今問題になっていることが、二度と起きないようなしくみが出来上がることだし、
実現したいことが実現していけるようにすることのはず。
それには、どうすれば実現できるのか、学び続ける必要がある。
すでにどこかにある答えを学ぶこともあるかもしれないし、
学びながら、自ら編み出していく必要があるかもしれない。
誰かのせいして終わりにするよりも、
学び続けて、望ましい状態を実現していく人間でありたいものだ。