気づきの伝道師 藤井一規です。
自分と合う人たちといることは快適、
だから、一致しない相手は排除するという考え方もある。
今日は、周りとどのように関わっていくかについて考える。
<ブログ>
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この記事の目次
「ここでは、どの一つの草木も『われこそほんとうの緑だ』といって、他余すなわち他己を排することをしない。各自が自己の緑をもちながら、他己の緑と一つに、山野を限りなき果てまで充実させているのである」
by鈴木大拙(仏教学者)
同じ意見、同じ傾向の人といるのは、
心地よかったりする。
しかし、いつもそういう環境というわけにはいかない。
また、あるテーマで同じ意見の人と思っていても、
別のテーマでは、意見は対立するかもしれない。
<強制型リーダシップ>
世の中を見ていくと、
自分の思い通りにことを進めようとする人
我こそは主、下々は従え。
というような意識が見える人もいる。
クロをシロと言わせるほどの
強制力を持って、引っ張っている
会社のトップというケースもある。
我こそは正しく、疑念を挟む余地はない。
全ての状況を把握して、トップをはじめ
一丸となって進んでいこうとする。
小規模な会社や、組織が危機的な状況にあるときには、
こうした強制型のリーダシップも役に立つ。
皆で、一致団結した状態をつくりだせれば、
効果を上げることもできる。
しかし、ひとりだけのチカラで、
全てをコントロールし、長期間やっていくのは大変なことだし、
異なることを否定されるばかりの環境で、
トップの言いなりだけになってしまうのだとしたら、
所属するメンバの特徴やモチベーションを損なってしまいがち。
異なることを良しとしないことは、
どこかにストレスがかかっている。
全て同じであることを求めようとすると、
排除する人は増えていってしまい、
どんどん仲間を失うことになりかねない。
<山野が緑で覆われるのは>
山野の中には、水の豊かな場所もあれば、
乾燥した場所もある。
陽がよく当たるところもあれば、
陽が当たらず、陰のままのところもある。
陽のあたる場所であっても、
大きな木の下には、陰ができる。
植物にも、成長し、生きていくのに、
適した環境がある。
乾燥を好む植物は、湿地では生きていけないかもしれない。
日向を好む植物は、日陰では成長できないかもしれない。
山野がもし、同じ緑の植物だけしか生えていないのだとしたら、
緑の場所には限りができてしまうだろう。
<人はそれぞれ違う>
人は、ひとりひとり違う。
違っているけれども、だれだけが正しい、
この人は間違っている、というわけではない。
得意な分野も異なっていたりする。
同じタイプの人だけがいたとしたら、
同じようなところが得意で、同じようなところが苦手。
苦手な部分を何とかしなくてはならなくなったとき、
その組織は弱さを露呈してしまう。
より大きなつながりを求めていくときには、
いろいろな人が含まれていくことになる。
それぞれの違いを受容し、うまく活すことを考えていきたいもの。