気づきの伝道師 藤井一規です。
温故知新という言葉は、とても有名。
なんとなくわかったつもりになっているこの言葉、
もう一歩踏み込んでみると、新しい気づきがありそう。
今日は、温故知新の素になった論語の言葉から踏み込んでみたい。
<ブログ>
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この記事の目次
「故(ふる)きを温めて新しきを知る、以て師と為(な)るべし」
by論語より
温故知新というと、
過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。(デジタル大辞泉)
という意味。
ところで、「ふるき」が、「古」ではなく、「故」なのは何故でしょう?
<故>
人に進化して以来、人は
大きく変わっていはいない。
地球環境も比較的安定的。
だから、
歴史は繰り返す。
と言われるように、
過去のことから、
未来をある程度、推測することができる。
ただ単に「古い」、過去の事実を調べてみることも大切だけれども、
そこに、どんな意図があったのか、
何故にそうなったのか、という「故(ゆえ)」を
知ることが大切になる。
<温>
この言葉では、
「たずねる」という読み方と、
「あたためる」という読み方とがあると考えられる。
昔におきたことを調べなおすのは、
その事実のところに「訪れる」ことだ。
という解釈と、
昔のことを調べなおすのは、
冷めた料理を「温め」なおしてみることだ。
という解釈とがある。
おそらく、論語が入ってきたとき
理解できるようにするために工夫したのだろう。
どちらも考えられること。
<知新>
新しきを知る。
未来のこと、これからのことに役立てる。
未来がどうなるかは、誰も確実には知りえない。
この不確定さは、不安の素となることでもある。
しかし、過去のこと、その故を知っていれば、
発生しやすいケースを想定することができる。
起きそうなケースに備えられるのであれば、
不安におののく必要はなくなる。
また、過去の事例から、
ピンチの状況からでも、工夫して、
望ましい結果に導く可能性に気づくことができる。
あなたなら、さらなる工夫を加えることも
できるかもしれない。
<どう活かすか>
論語では、温故知新できるひとは、
師匠となることができる。
と続く。
師匠となるかどうかは別として、
この言葉から、何をみつけられるだろう?
わたしたちは、
目の前で起きたことに、反応するもの。
心の問題を抱えるケースの多くは、
目の前の事実に対して、過剰に反応することによって起きている。
未経験なこと、予測ができないことに対しては
誰しも不安を持つことはあるだろう。
しかし、過去に起きたことを知れば、
いたずらに恐れを抱く必要がないことがわかる。
また、工夫すれば、より簡単に乗り越えることができる
ことにも気がつく。
今起きていること、
まずは事実を捉えて、
どうしていきたいかを明確にし、
過去の様々な知恵を活かして、
前進していきたいもの。