気づきの伝道師 藤井一規です。
能力が高くなってくると、人はつい、
おごり高ぶった考えをしてしまいがち。
それは、避けるべきだと言われるが、その理由は?
今日は、成長と、おごり高ぶることにういて考える。
<ブログ>
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この記事の目次
「まず、自分には大した知識も学問もないと自覚することだ。
おごれる者には進歩がないという。
なぜなら、その人は、他人から学ぶこともマネることもしないからである」
by勝田修弘(実業家)
たしかに、傲慢な人がいたとしたら、
嫌な印象を持つものだけれど
おごり高ぶることの問題点は、
どんなところにあるのだろうか?
<おごれる者>
おごる平家は久しからず。
という、ことわざがある。
おごれるものは久しからず。とも言う。
平安時代の末期に、栄華を極めた平氏は、
「平家にあらずんば人にあらず」とまで増長したと言われ、
多く人々の反発を呼んだ。
自分こそが最高だと思うことは、
他人を軽んじることにつながっていたりする。
そんな風に考えたことなんてないよ!
と思うかもしれないが、
人は、実力をつけてくると、
未熟な人、能力の劣る人に対して、
扱い方が変化しがちなもの。
<陥りやすい罠>
教えても、なかなか理解してくれない人、
自分では、簡単にできたことが出来ない人がいて、
イライラしたりしたことはないだろうか?
自分ではそのつもりがなくても、
こうした人と出会ったときに、
相手の価値を劣るもの、軽いものと考えがちなもの。
思わずバカにしてしまったりなんてことはないだろうか?
意外に、こうした罠に陥ってしまいがちなもの。
<自分には理解できないこと>
自分には簡単だが、その人には困難。
というときこそ、学びのチャンス。
簡単にできてしまうことが、どうしてできるのか?
ということは、出来てしまう人には理解しにくい。
どうやってやろうか?などと考えなくてもできてしまうからだ。
そういうときこそ、
見逃していた真理を捕まえるチャンス。
そのチャンスをくれる相手がいてくれることは、
ありがたいことなのだ。
<わかっていると思うと>
また、こんなこと、わかっているよ!
と思い込んでいると、
より深い学びや成長の機会を逃してしまう。
わかっていると思っているのは、
これまでの自分の世界の中でのことに過ぎない。
自分はもうわかっているから、
と思って、注意を払うことを忘れていると、
思いもしなかったアプローチの方法や、
革新的なやり方のヒントがそこにあったとしても、
発見する機会を逃してしまうだろう。
<成長途上にあるなら>
自分は成長途上にあり、
自分と出会うことには、なんらかのヒントが与えられている。
と考えることは、成長のための重要な要素。
自分がすべてを知っていると思うよりは、
まだ知らない何かがあるかもしれないと考え、
周りを尊重していくことが、
自分の成長につながり、周りともうまくやっていくコツ。