気づきの伝道師 藤井一規です。
悩んでいることについて聞いてみると
意外と他人の問題を自分の問題だと考えて、
苦しんでいることは多い。
今日は、問題を区別化することについて考える。
<ブログ>
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この記事の目次
「あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ」
byアルフレッド・アドラー(オーストリアの精神科医、心理学者)
問題を抱えている人は多い。
しかしながら、話を聞いてみると、
自分の問題ではないことについて
悩んでいる人が多かったりする。
自分が解決できるのは、自分の問題だけだということに
気づくことは大切なこと。
<誰の問題?>
「子どもが学校へ行かないので困っています」
学校が卒業できなかったりして、本当に困るのは、
お子さんのはずなのに、なぜあなたが困るのですか?
と尋ねれば、
「だって、登校拒否だなんて! 困るに決まってます」
と返ってきたりする。
もっともらしく聞こえるけれど、
親であろうとも
子どもの人生を背負うことには限界がある。
学校へ行かないことで、
本当に困るのは、誰なのか?
学校へ行かないことは
理由があって、その子が選択していること。
その意思を持った選択を
理由を聞かずに否定してしまっていたりする。
周りの思惑に一致するように、
苦労して学校に行かせても、
決して解決にはならない。
こんなふうに、他人の問題を
自分の問題のように捉えてしまうことで、
却って問題を解決しにくくしていることはよくある。
<問題を混同すると>
誰の問題かを区別化できていない状況では、
知らず知らずのうちに、
心のどこかで相手を責めたり、相手のせいにしてしまったりする。
人は、ひとりひとり、別の存在。
いかによく知っているはずの身近な人であっても、
何を思い、感じているか、完全に知ることは
出来ないと言ってもいい。
別の人の問題を解決しようとすれば、
その相手をコントロールしようとすることになったりする。
どれだけ努力しても、
自分とは別の存在である相手を
コントロールしようとすることには限界がある。
無理なことをしようとすれば、
当然、解決にはなかなか至らない。
<問題を区別化する>
だから、その問題が、誰の問題なのかを明確にして、
他の人の問題には介入しすぎないようにすることは、
相手の意思を尊重することであり、
混乱から抜け出す重要な方法となる。
先の登校拒否の子のケースでは、
「子どもが学校に行かないこと」こと自体は
子どもの問題。
ただ、そのことによって、親御さんが
「親としての役割を果たせてないのではないかと思う」
「そんな状況であることは恥に感じる」
というように捉えているとしたら、
それは親御さんの問題、
ということになる。
<区別化できれば、解決は近い>
問題を区別化できれば、
半分、いやほとんど解決したようなもの、と言わたりする。
明確になった課題になら、
シンプルな質問に答えていく。
自分がどのようにすればよいか?
どんな自分であればよいか?
自分と他人の問題がごっちゃになった状態では
効果のでない答えがでてきたりするが、
誰の問題かが明確になっていれば、
解決に向けた答えが出てきやすくなる。
問題の区別化は、解決への大きなステップ。