気づきの伝道師 藤井一規です。
努力は報われる。
という言葉を信じて、頑張っているひともいる。
しかし、どれほど苦労して、努力を続けても、
報われているとは思えないケースもいっぱいある。
今日は、努力することと、報われることについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのになんで?ってなると腹が立つやろ」
by明石家さんま(お笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー)
こんなに努力しているのに、
どうして報われないんだろう?
そう思っていたりしないだろうか?
練習は嘘つかないっていうけれど、
練習をいっぱいしたのに、
効果がでない。。。なんてことも。
<努力と結果と効果>
今は、科学的トレーニング理論や、
それを実現する機械が充実してきていて、
効果的に筋肉をつけたりすることが
できるようになってきた。
しかし、広く実践できるようになってきたがゆえに、
却って努力したことがあだになることがある。
例えば、有名校の高校野球の選手が筋力トレーニングをする話はよく聞くけれど、
投手については、何でもいいから筋肉をつけさえすればよいのではなく、
しなやかな筋肉が求められる。
だから、必死になって努力して、ムキムキの筋肉をつけても、
その努力が却って投手としての能力の邪魔をすることがある。
こんなふうに、間違った方向の努力をしてもうまくはいかない。
努力の結果は出ていても、
報われることにはならない。
目指すところを実現するように、
どんな努力をするのかをよく考える必要がある。
<見返りをくれと言われたら>
ところで、「報われる」という言葉には、
努力したんだから、その分の「見返り」があるはず、
という意識が見え隠れする。
この、「見返り」を求めようとする意識、
「見返り」があって当然、という意識があるとき、
その「見返り」が現れないと、
とたんに周りを恨んだり、不平不満をばらまいてしまったりする。
何かを与えられないと、
自分からはしないぞ!っていうことにつながってい
いないだろうか?
ほら、こんなに頑張っているんだから、
なにか与えてちょうだいよ!
という意識丸出しのひとが、あなたに近づいてきたら、
あなたはどう思うだろう?
もちろん、本当にあなたの役に立つことをしてくれるなら
まだわかる部分もあるけれど、
役に持ってもいないのに、
ほら、こんなに努力しているでしょ!って
見せつけてくる人には、
できれば近づいてきてほしくないと思うのではないでしょうか?
<意欲はどこから引き出すか>
与えられるのを期待して、やる気を出す
というは避けたいのだとしたら、
努力や、練習の辛い思いをしながらも
実践しようというモチベーションは、
どこから生み出せばよいか?
ひとつは、
取り組むこと自体に楽しさを見つけていけば、
辛いという意識は生まれずに、
やることができる。
また、努力をした効果が現れて、
できなかったことができるようになったり、
自分が成長できることもうれしいこと。
また、そのために苦しいトレーニングに
取り組める自分になれたことも重要かもしれない。
努力すれば、必ず与えられる。
という意識から卒業し、
自分のために、自らやるのだという意識をもつことは、
より望ましい人生の役に立っていく。