気づきの伝道師 藤井一規です。
真理はとてもシンプルだったりする。
そして、すべてのものに働いている。
ということは、
真理は、ありふれたもののなかにも存在していて、
ありふれたものの中を探求することで、
真理を知る可能性がある。
しかし、誰にも可能なはずのことにも関わらず、
苦労ばかりしている人も多い。
それは、なぜなのか?
今日は、真理にたどりつく秘訣について考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/8991/
この記事の目次
「ある時、弟子が先生に尋ねた。
弟子:『先生、真理がどこにでもあるならば、道に落ちでいる石のようにありふれたものなのでしょうか?』
先生:『その通りだ。だから誰でも拾うことができる』
弟子:『ではどうして人々は、それを拾わないのでしょうか?』
先生:『真理という石を拾うには身を屈めなければならない。難しいのは身を屈めるということだ』」
byユダヤのことわざ
この世の中の真理は、
すべてに働いていると考えることができる。
しかし、同じものを見たり、聞いたり、感じたとしても、
真理を見出すことができる人もいれば、
できない人もいる。
ところが、自分で見出すことができなくても
真理にたどり着ける人もいる
真理にたどり着ける人と、苦労する人、
そこには、どんな違いがあるのだろう?
<知る近道>
何かを知ろうとするとき、
どんな方法をとりますか?
たとえば、行きたい場所があるが、
道がわからないとしたら、
とりあえず、自分であちこち歩き回ってみる
という方法もある。
地図を手にいれ、地図の見方を知って、
自力で歩くという方法もある。
一番速いのは、
知っている相手を見つけて、
聞くことだと言われる。
しかし、意外にも
すぐに人に尋ねようとしない人も多い。
<教えを請う>
教えていただくためには、
相手にお願いをすることになり、
声をかける。
相手が正しい情報をしっていそうか確認する。
頭を下げてお願いする。
いただいた情報の確実性を確認する。
というプロセスを通過する。
このなかで一番抵抗がおきやすいのが
「頭を下げる」というところだ。
特に、ライバル関係だったり、
張り合っているような相手だったりすると、
気軽に頭を下げたくなかったりする。
<謙虚さの勝利>
また、私たちは、自分が見出したものこそ
本物だと思いがちなもの。
しかし、自分が経験できることには限界がある。
他の方が経験したこと、
見出したことを知り、
思い込みを取り外して
冷静に考え直すことで、
より真理に近づける。
それには、謙虚さを持ち合わせておく必要がある。
謙虚さは、真理に速く到達し、
人生をより豊かにする近道といえそう。