気づきの伝道師 藤井一規です。
だれも非難されることは嫌なもの。
できれば、悪口とか非難とかされずにいたい。
人から嫌われたくないと思うもの。
今日は、非難すること、されることについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいないのである」
by仏陀(仏教の開祖)
誰しも、ひとから嫌われたくないという気持ちがある。
つい嫌われずに済む方法を選択したくなったりする。
しかし、人に振り回されるのもどうかと思う。
本当のところ、どうしていけば良いのだろうか?
<好き嫌いは主観的>
好き・嫌いの基準は、ひとそれぞれ。
こうすれば必ず好かれる、
必ず嫌われるというものではない。
好き嫌いは、主観的な基準で決まる。
だから、ひとがそれぞれ違うように、
同じことに対しても、
ある人は好きと言い、ある人は嫌いと言う。
全員に好かれようとすると、
相手によって、意見や行動を変えてしまわなければならず、
無理が生じてくる。
<立場変われば>
1対1の勝負事をしているとしたら、
どちらか一方の応援をすることは、
他方からすると、敵対することになる。
同僚と立場だとしたら、同意することができることも
上司の立場としてみたら、受け入れられないこともある。
人が同じであっても、立場が違えば、
言うことが違ってくる。
万人から非難されずに済まそうとしても
やはり無理があるということに気づく必要がある。
<自分に気づく>
「悪口をよくいわれるんです」
という人に出会うことがある。
話を伺ってみると、
結局、一番悪口を言っているのは
悪口を言われている当人ではないかと思われることが多い。
また、とても横柄な態度だったり、
上から目線で、周りの人を見下していたりするが、
そのことに全く気付いていないことが多い。
これは他人事ではなく、
どうやら、わが身を振り返る必要があるようだ。
<自分らしく>
ひとはそれぞれ違うもの。
相手に合わせて嫌われないようにすることを意識して、
自分を偽ってしまう必要はない。
もちろん、自分の姿が醜く捻じ曲がっていないかは
気にする必要がある。
だから、自分らしくあることのほうが大切。
そして、自分で自分の姿を第3者的にみて、
納得できるようにしていけばいい。
揺れ動く他人の評価を気にして、
自分を偽ることほど、もったいないことはない。