気づきの伝道師 藤井一規です。
間違うことを恐れて、行動を止めてしまうことも多い。
今日は、正しい答えを求めることについて考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/9151/
この記事の目次
「正しい答えが、人生のすべてじゃないでしょう?」
byチャールズ・シュルツ(米の漫画家)
正しい答えを出した!と聞くと
なんとなく、うまくやっているような気がする。
間違った。。。と言ってしまうような状態は、
あまり望ましくない・・・ような気がする。
でもそれは本当か?
<正しさはどう決まる?>
ところで、正しい、正しくないって、
何をもって決まるのか?
常識みたいに、大多数の人が同意してくれること?
ふつうは・・・
みんなが・・・
ということが、本当に正しいのだろうか?
天動説が当たり前だった時代では、
地動説は正しくないってことになる。
ある人にとっては正しいが、
他の人にとっては正しくないということもある。
成果を出した選択が正しい?
ある選択をして、辛い思いをするのは嫌だけれど、
その思いがあるからこそ、精進して成長できたりする。
ある意味、正しくない選択をしたことが、
結局は正しかったのかもしれない。
だから、誰にとっても正しいというものは、
存在しないのかもしれないのだ。
<正しさを求めると>
正しさは相対的だったり、
主観的に決まるものとわかっていても、
人は正解を求めようとしたりしてしまいがち。
ときには、正解を見つけるまで行動することができなかったりする。
「本当の自分探し」というものも、
見つけた何かが、本当なのかって、
実は誰にもわからない。
どんなものであっても、
自分が「そうだ」と思えばそうだし、
そう思わなければそうではない。
正解などどこにもなくても、
探し続けてしまったりする。
<どれもが正しい>
、
また、正しいは、正しくないを創り出していく。
それは、ときに対立を生み出し、
争い事の原因になったりする。
特に、自分のことは正しいと思いがちなので、
合わない人が間違っている、と思いやすい。
確かに、自分にとって違和感のあるものに遭遇したとき、
排除するという方法がある。
それは快適なフィールドをつくりだしてくれるが、
続けていると、排除する人や物はどんどん増えていき、
あなたの世界は小さく小さくなってしまう。
そこで、「どれもが正しい」と捉えてみる。
たとえそれが突拍子もないことであっても。
「太陽は西から昇る」
と言う人がいたら、
どうしてそう考えるのか?
尋ねてみる。
するとそこには、あなたの思いもつかない
新しい物事の捉え方があったりする。
相手とも対等に付き合う余地が生まれる。
どれもが正しいと考えて、一旦は受け留めていく。
どんなものかをよく調べてみて、
そのうえで自分の選択をしていけばよい。