気づきの伝道師 藤井一規です。
あいつには負けたくない。劣っていたくない。
私の方が、勝っている!・・・
誰かと比べたりすることは、よくあること。
しかし、対抗意識があるときには、
幸福を感じられないという。
今日は、対抗意識と幸せについt考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「幸福は対抗の意識のなかにはない。協調の意識のなかにある」
byアンドレ・ジッド(フランスのノーベル文学賞作家)
誰かと対抗しようとしているときは、
幸福を感じられないと言われている。
ただ、負けまいとする気持ちは、自分の成長にもつながる。
どのように考えていけば良いのだろう?
<対抗心>
勝ちたい!負けたくない!という気持ちは、
苦しい努力に耐える気持ちを生み出してくれたりする。
うまく活用していけば、成長していくうえで、
大いに役に立つエネルギーになりうるもの。
しかし、ともすれば、勝ちさえすればよい
という考えに陥ってしまうことがある。
選挙でも、相手の足を引っ張るという
戦術が使われることがあるが、
とても後味が良いとは言えない。
相手のことを脅威として捉えている間というのは、
安心してはいられない。
これは幸福な状態とは言い難い。
<優等感>
逆に自分のほうが、より優れていると認識するとき
優越感に浸ることができる。
ところが、相手のことを蔑んでしまうことに
つながることがある。
たまたまひとつの能力であったり、状態の比較であるにも拘らず、
相手の存在自体を軽んじたりしてしまう。
優等感は、ナチスドイツが選民思想として使ったように、
知らず知らずに魔力をもって、人をとりこにしたりする。
しかし、誰か踏みつけにする相手がいることが
前提となっていることを忘れがち。
誰かの不幸の上に得ている幸福は、
真に幸福であるとは言えない。
<ともに大切な存在>
自分も、対抗しようとする相手も
ともに大切な価値を持った存在。
このことを常に感じていたい。
自分の方が上回りさえすればよい、というものではなく、
お互いを認め合いながら、より高めあうために意識するのだ。
相手のおかげで、自分のやる気が引き出されていることに気づき、
相手を尊重し、感謝する気持ちを持ち続けたい。
<ノーサイド>
ラグビーでは、試合が終わることをノーサイドという。
試合そのものは、勝ち負けをつけようとするもの。
しかし、試合が終われば、
ラグビーを愛する仲間としてお互いを讃えあう。
競い合うけれども、
相手を大切にする気持ちを持ち続ける。
勝ったから、存在価値が増えたり、
負けたから減ったりするわけではない。
同じ仲間として、認めあい、高めあい、
健闘をたたえあうことが、幸せにつながっていく。