気づきの伝道師 藤井一規です。
意味的に真理とさせていただいた。
今日は、真理とはなにかについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「真理を探している者を信じよ。真理を見つけたものは疑え」
byアンドレ・ジッド(仏の小説家)
真理を探し求める者は信頼できるが、
見つけた!と思った真理は疑うべしという。
それはいったいどういうことなのか?
<真理と真実と事実>
話を進める前に、まず真理と真実と事実について考える。
そういえば名探偵コナンは、真実はひとつ!
と言っているが、
落ち着いて考えてみると、
事実はひとつしかないが、真実はいくつもありうる。
事件が起きたとすると、
事実は一つしかない。
しかし、真実にはその人の思いが乗ってくる。
ということは、ひとつの事実に対して、
関わった人によって、思いには差が生まれうる。
そして真理は、いかなるときにも不変の法則のようなもの。
多くのひとは、真理をもとめている。
<不変であるということは>
私たちが存在している世界は、
常に変化している。
真理を見つけた!と思ったときは、
あくまで、「現在の時点において」
という条件が付いている。
現在の時点において手に入れられる
出来る限りの情報を基にして、
より安定的に使えるものとして、「真理」だとすることができる。
だから、逆に未知の条件が加わった瞬間に、
その真理は成立しないかもしれないことを
心得ておく必要がある。
<真理を求めている間>
反対に、真理を求めている間は、
さまざまな条件下で、
いったいどんな共通の法則があるのかを、
探っていこうとしているはず。
事実を基に追究しているということは
変動しないものをベースにしていること。
結論にいたっても、いなくとも、
多くに取り組めば、より真理に近づいていく。
それに基づいて判断していけば、
完璧ではなくとも近い方向に進んでいける。
新しい条件が現れたら、それを取りこんでいけるように
真理をもう一度見直して、常に更新するように
考えていく必要がある。
どんなときも、見落としている条件が存在し、
真理が更新される可能性があることを
覚えておきたいもの。
もう見直さなくていいということにはならない。
真理の旅には終わりがないのだ。
常に、最善の真理に気づいているということなのだ。