気づきの伝道師 藤井一規です。
世に知られる発明、発見には、
失敗や、たまたまといった、
偶然がきっかけだったものが多い。
しかし、本当に偶然だと片づけてよいものなのだろうか?
今日は、偶然と言われる偉大な発見、発明などを用いながら、
天の恵みを得ることについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「最も偉大な発明家は誰か。それは『偶然』である」
Name the greatest of all inventors. Accident.
byマーク・トウェイン(米国の作家、小説家)
偶然という、天の恵みが味方することがある。
ダイナマイトは、ニトログリセリンが容器から漏れたことがきっかけでできた。
ペニシリンは、実験対象にカビを生やしてしまったことから見つかった。
しかし、本当に「偶然」がそのすべてを握っているのだろうか?
<偶然の産物?>
調べてみると、失敗の中の偶然や、全くの偶然からできたものが
世の中にはいっぱいある。
発酵食品だって、最初から意図して作ったわけではなく、
カビさせたり、腐らせてしまったものを
食べてみたら美味しいじゃないか!と誰かが見つけて、
そこからあれこれ工夫してきた。
遺伝子情報も、あるとき細胞分裂のときのコピーに失敗したりして、
突然変異が起きたりする。
偶然のチカラは偉大なような気がする。
<偶然だけとは思えない>
たしかに、偶然がさまざまな現象を起こすことがあるかもしれない。
しかし、素晴らしい偶然の現象が起きていても、
それが発見や発明につながるとは限らない。
ニトログリセリンを容器から漏らしてしまっても、
ああ、失敗、何の役に立たないと思ってしまっていたら、
ダイナマイトにはつながらなかった。
実験対象をカビさせてしまっても、すぐに捨てないで、
それをよく観察して、
あれ?どうしてこのアオカビの周りは他と違うのだろう?
と、興味を持ち、さらに進んでいかなければ、
ペニシリンは見つかっていない。
<偶然を活かすチカラ>
そう、偶然出会った現象を、自分の関心と結びつけて考えなければ、
それを活かすことはできない。
また、先日お伝えした、死の病の伝染で
絶滅に瀕したタスマニア島だけの固有種のタスマニアデビルは、
短期間に驚くべき遺伝子の変化をし、耐性を持つ種へと進化した。
これをただの偶然で片付けてしまってよいものか?
生き残ろうとする意思を持っていたから、
変化を活かし、進化していったと考えたほうが自然なのではないか?
どうも、全力で取り組もうとする意思のあるところに、
偶然が活かされているのではないか?
<網を張ろう>
偶然を捉え、天啓として活かすには、
捉えるための網を張り巡らせておく必要がある。
捉えようとする網を張る努力が必要なのだ。
ただの偶然と片づけてしまうこともできるが、
それを捉えようと努力した結果得られた、必然だといえるかもしれない。
どこに、どんな網を張っておくか、
その努力が問われていることを覚えておきたい。