気づきの伝道師 藤井一規です。
沈黙は金なり、という言葉がありますが、
ときに沈黙することは、罪深いことがあります。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「沈黙の罪とは、抗議すべきときに黙り込む卑怯者を生み出すことである」
by エラ・ウィーラー・ウィルコックス(米の著作家、詩人)
沈黙することが罪作りなことがある。
異常事態に気づいていたのにも関わらず黙っていることは、
問題を大きくしてしまったりするからだ。
もうしばらく掘り下げていく。
<沈黙は金、雄弁は銀>
沈黙についての格言と言えば、
沈黙は金なり。が浮かんでるくかもしれない。
これ、誕生の英国でのもともとは
沈黙は金、雄弁は銀、という言葉で、
当時は銀のほうが価値があると考えられていた。
議論できない人は仕事にならなかったから、ともいわれている。
しかし、議論は対立を生むもとにもなったりすることもあり、
沈黙にも価値があると考えられていたのだ。
次第に、雄弁よりも沈黙ほうが重視されるようになり、
また銀よりも金のほうが価値が高いとされるようにもなった。
<沈黙の功>
発言することに価値はあるけれど、
余計な発言をすることで、対立のもとを生んでしまったり
言い訳を並べてしまっていたり、
余裕がないゆえに、説明にごまかそうと必死になっていたりすることがある。
堂々として黙っていたほうがよかったりする。
話しているうちに失言してしまって、責任を取らされる政治家がいたりするが、
同じようなことは、私たちの身近でも起きている。
ときには、なんでもその場で解決しようとはせず、
時間をおいたほうが良いこともある。
相手に準備が必要なときがあり、
言いすぎると単に責めてしまうことになったりする。
こうしたときには、沈黙は役に立つ。
どうやら相手や場のことを観察することなく、
一方的に話し続けるのは危険を伴うようだ。
<沈黙の罪>
しかし、あなたがひとこと発言すれば
未然に防ぐことができたのに、
黙っていたことで、大問題が起きてしまうようなとき、
問題をひきおこす何かがあると気づいているのに、
見て見ぬふりをしてしまったとすれば、
沈黙は罪になりうる。
発言すれば、面倒に巻き込まれるかもしれないと、
責任を逃れるために沈黙をすることは
卑怯な振る舞いになるかもしれない。
<毅然と生きる>
沈黙か、発言か。
どうやら、どちらか一方だけが良いというわけではなく、
時と場合によって、どちらを選択するかを
自分で判断し、行動していく必要があるのだ。