思春期の子どもたちの専門家、くればやしひろあきです。
夏休みがだんだん近づいてきました。中学3年生のお子さんをもつご家庭はそろそろ進路について考えている時期かもしれません。
中学校卒業後の進路、どのような応援方法があるでしょうか。
それを選んでいるのはだれですか?
ありがたいことに、いろんなお母さんに出会うことができました。
いろんな人生に出会うことができました。
僕がお届けしていることは、そんなさまざまな思春期の子どもをもつご家庭の1シーンから切り取った、メッセージです。
「この子のせいで、私は大変な思いをしています」
そうおっしゃるお母さんがいました。
合格した我が子に向かって、こんな言葉をぶつけるお母さんもいました。
「こんな学校にしか行けないなんて恥ずかしい」
子どもたちの顔はどんどん曇ります。
怒りに震える子もいます。
そんな親子にどんな声をかければいいでしょうか。
本当に胸が苦しくなる思いを、何度もいたしました。
一方で、こんなお母さんにも出会いました。
「この子は宝物です。この子のおかげでたくさんの笑顔に出会えましたから」
障がいを抱えて生まれてきた子のお母さんでした。
僕はその言葉を耳にしたとき、はっとさせられたのです。
お母さんが感じたさまざまな気持ち。
これは、本当に子どもたちに「原因」があるのでしょうか。
僕は、そうは思いません。
「大変だ」という気持ち。
「恥ずかしい」という気持ち。
「宝物だ」という気持ち。
その気持ちを選んでいるのはだれですか?
そう、「自分」です。
「この子」のせいではないのです。
自分の気持ちを選んでいるのは、「自分」なのですから。
変えられるのは、いつも自分だけです。
それなのに、僕らは自分が感じているものの原因を自分の外側から見つけようとしてしまいます。
「あの人がこうだから」
「この会社がこうだから」
「世の中がこうだから」
そうやって犯人探しをしてしまうのですね。
自分が感じているものの原因を自分の外側に見つけようとすると、苦しくなります。
まず、自分と向き合うこと
「大変だ」という気持ち。
「恥ずかしい」という気持ち。
「宝物だ」という気持ち。
この子がその気持ちにさせているのではありません。
自分がその気持ちを選んでいるのです。
そのことを知ったとき、子どもへのまなざしは大きく変わります。
この子はね、大変な子なんかじゃないんです。
この子を大変だと感じているあなたが、ただそこにいるだけなのです。
「なぜ、私はこの子を大変だと感じているのだろう?」
そう、自分に問いかけてみてください。
そこがスタートラインです。
変えられるのは、いつだって自分の在り方だけです。
外側に原因を見つけ、それを変えようとするなんて傲慢。
苦しくなりますよ。
この子は、この子であるだけで素晴らしい。
この子をどう受け止めるか。
どんな心で受け止めるか、選ぶのはあなたです。
受験を間際に控えた3者面談
「こんな学校には行かせたくありません」
そのようにおっしゃるお母さんがいます。
「こんな学校に通うなんて恥ずかしい」
そのようにおっしゃるお母さんがいます。
なぜ、そこまで学校名にこだわるのでしょうか。
そこに通う子どももいるのですよ。
この子はそこに通うかもしれないのですよ。
偏差値の高い学校に行けば行くほど、この子は優秀な子になるとお思いでしょうか。
どこの学校に行こうが、この子はこの子です。
入学した学校の名前で、この子の価値が決まるわけではありません。
「お母さん。この学校に行くことになったら、この子はダメな子ですか?お母さんが精一杯育ててきたこの子はダメな子ですか?」
僕には、そう問いかけることしかできませんでした。
知っておいてください。
学校名など、ただの学校名です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
それなのに、学校の名前にこだわってしまう。
その心はどこからやってくるのでしょうか。
欲求はどこから生まれるのか
選択肢が増えるほど、それに比例して人間の欲求も増えていくのだそうです。
都会では、たくさんの選択肢が用意されています。
地域によっては通える学校が限られているところもあります。
たとえばもし、あなたの自宅から通える高校が1校しかなかったとします。
選択肢がないのです。
近所に住んでいるお兄ちゃんお姉ちゃんたちもそこに通っています。
どうですか?
「あの学校はイイ」とか「あの学校はイヤ」という気持ちは湧いてこないでしょう。
だって、選択肢がないのですから。
「たとえば、もし」のお話です。
無人島にたった一人で暮らしていたとします。
隣人もない、物もない暮らしです。
であれば、あれも欲しい、これも欲しいという欲求は生まれません。
そう!
だれとも比べる必要はないし、選択肢もないのですから、当然といえば当然です。
比べる相手がいて選択肢があるから、僕らは「あれがいい」「これはイヤ」となるわけです。
「人間にはそういう欲求があります。
ないものねだりの心です。
これから世の中には、どんどん物が増えていきます。
それに従って、人間の欲求って際限なく膨らみますよ」
2500年前にそうおっしゃっていた方がいます。
2500年前?
そう、お釈迦様です。
このお話は、日蓮宗のご上人である瀧本光静先生から伺いました。
電車の中で♡
こんな悩みを伝えました♪
「子どもたちはあの学校がいい。この学校がいいと言います。
親もあの学校がいい。この学校がいいと言います。
で、必死になって勉強します。
けれど、成績はなかなか上がりません。
なぜなら、みんなががんばっているから。
なぜ、その学校に行きたいの?と尋ねても、明確に自分の気持ちを言える子も多くありません。
苦し紛れの言葉が、勉強をするため、です。
でも、勉強は好きではないと言います。
好きでもない勉強をするために、好きでもない勉強をして、がんばっているんです。
そのうえ、ほとんどの子は、思ったほど成績は上がりません。
好きでもない勉強に苦しみます。
そのことを僕は知っています。
知りすぎています。
だからこそ、僕も苦しいのです。
がんばれって言うのが苦しいのです。
がんばらなくていいよ。
そのままでいいよ。
今の力で行けるところが、ご縁のあった学校だよ。
そこで輝くことが大事だよ。
学校名であなたの価値は決まらないんだから。
そうやって伝えて、過去に文句を言われたこともありました。
あなたのせいでウチの子は勉強しなくなった。
あなたのせいで、もっと上の学校に行けたのに、ココでいいと言う。
向上心を失ったじゃないか。
そうやって罵られたこともありました。
どうして人は学校名にこだわるのでしょうか」
そんなことを光静先生に尋ねました。
ないものねだりの心。
「もっともっと」と人は願う。
それを向上心と呼んだりする。
でもね、今すでにこの子はもう十分に輝いている。
足ることを知ることで、親子の関係はもっと整うと思うのだけれど…
それは愛か?それともエゴか?
「こんな学校に行かせたくない!」
その言葉は、子どもへの愛からなのでしょうか。
それとも自己への愛なのでしょうか。
この子はこの子であるだけで素晴らしい存在です。
どこの学校に入ろうが、この子はこの子です。
この子のありのままを受け入れ、認め、許し、愛するだけでいいんだよ。
本当に。
魔法の質問
- この子が生まれた日、どんなことを願いましたか?
- 「この子のありのまま」と聞いて、心に浮かぶことは何ですか?
- あなたが恐れていることは何ですか?