思春期の子どもの専門家、榑林(くればやし)です。しつもんアラカルトには、思春期のお子さんをもつお母さんに向けて書いています。
テーマはズバリ、『もしも我が子が「学校に行きたくない」と言ったら』
以前、小学校1年生3日目で「もう学校には行かない」と決めた子に出会いました。とっても魅力的な男の子でした。
サドベリースクールで出会った素敵な出来事
ご両親も、と〜っても素敵な方で、家族でサドベリースクールの運営をお手伝いしながら、子育てを楽しまれていました。
ある年、サドベリースクールの合宿に参加させていただいたんですね。
3人の我が子たちも参加させていただきました。
サドベリースクールの子どもたちと普通の学校に通う子どもたち。
みんな和気あいあいと、とても楽しそうに過ごしていました。
子どもって、本当にあっという間に友だちになってしまうのですね。
夜は夜で、ウッドデッキにテントを張って、夜遅くまで子どもたちだけで楽しくやっていたようです。
そんなわけで、翌朝は少しゆっくりとしたスタートでした。
まずは、スクール内の片付けをみんなですることになりました。
しかし、一人の男の子がテントの中で眠っていて起きてこないのです。
朝の集合にも間に合わず、みんなでやる片付けにも参加をしない。
当然のことながら、「みんなで起こそう」という話になりました。
ところが、一番リーダー格の男の子。
彼は小学校入学3日後に「学校に行かない選択」を決めたそうなんだけど、その彼が、おもしろいことを言うのです。
「なんで寝てるんだ?」
そう尋ねます。
一番小さな女の子が答えました。
「◯◯くんね、朝4時まで起きてたんだよ」
それを聞くと彼はこう言いました。
「じゃあ仕方ない。
寝かせといてやろう」
僕はとても感心しました。
その発想に、ハッとさせられました。
そんな発想、「学校の先生」にも「生徒」にもありませんから。
本当に驚きました。
ものの見方や考え方を広げてみる
学校ならどうでしょうか?
「そんなことはけしからん」となるでしょう。
だって、みんなで掃除はやるべき。
起きてこないのは悪いこと。
起きられない原因はその子にある。
こう考えるのが普通です。
学校には「こうあるべき!」がたくさんあるのです。
これが学校が考える「平等」です。
これが学校が考える「公平」です。
でも、それって本当でしょうか。
僕は彼から新たなものの見方を教わりました。
「楽しく遊んでいたから4時まで起きてた。だから、眠たいのは仕方ない。一人ぐらいいなくたって片付けは問題ないのだから寝かせておいてやろう」と言うのです。
このブログでお届けしたいこと
間違っていただきたくないことがあります。
僕は、彼の考えが正しいとか、学校は間違っているとか、そういうことを言いたいのではありません。
ただ、そんなものの見方もある、ということを知っていただきたいのです。
学校というのは「平等」という言葉を好みます。
「前にならえ」が大事。
「隣にならえ」が大事。
「列」は乱してはいけません。
飛び出していたら叱られますよ。
「空気」だって読まなきゃいけません。
「平均的」を好みます。
それが「良い」とか「悪い」とか、ジャッジをするつもりもありません。
ただ、知っていただきたいのです。
そのことに息苦しさを感じている子もいるということを。
認知の仕方、つまりは感じ方。
それから、ものの見方や考え方。
それは人それぞれです。
学校を「楽しい」と感じる子もいます。
学校を「息苦しい」と感じる子もいます。
どちらが「優れている」とか、どちらが「劣っている」とかはありません。
それは、その子の感じ方です。
「良い」も「悪い」もないのです。
ただ、学校の機能には限界があります。
ひとりの教師が40人の子どもを指導する以上、ある程度の統一感を求めます。
できるだけ子どもが、「平均的」である方が都合がいいのです。
それを「良い」とか「悪い」とか言うつもりはありません。
先生の能力には限界があります。
先生の成長のスピードにも限界があります。
ただ、知っていただきたいのです。
そのことに「息苦しさ」を感じる子がいます。
いてもいいんですよ。
悪くないんですよ。
おかしくなんかないんですよ。
「学校に行く」という選択。
「学校に行かない」という選択。
どちらも「この子」の選択です。
魔法の質問
すべてが許されるとしたら、あなたは望みますか?