気づきの伝道師 藤井一規です。
誰かのことを憎んだり、恨みに思うことってあるかもしれません。
自分勝手なことをされたり、理不尽な目に遭うこともあるかもしれません。
それでも、他人を許すことができるかどうかは、
自分の人生のために必要だと言われます。
今日は許すことについて考えていきます。
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この記事の目次
「他人を許すことのできない人は、自分自身が渡らなければならない橋を壊しているようなものである。人は誰でも許されなければならないからだ」
by トーマス・フラー(英国の牧師、歴史家)
許すことは、他人のためにすることではなく、自分のためにすることだと言われる。
それは、どういうことなのか、この言葉をもとにもう少し考えていく。
<マイナス感情に囚われるとき>
誰かに対するマイナス感情に囚われるとき、
その感情を抱いているのは・・・自分自身だ。
相手にぶつけたい思いがあるとき、
誰よりも先に、自分自身がそのマイナス感情を抱えることになる。
そして、自分自身のほうが、誰よりも長く抱えることになってしまう。
相手を攻撃したいにも関わらず、
相手よりも自分の方がマイナス感情の被害者になってしまう。
<他人への怒り、憎しみ、恨み>
だれしも誰かに対して怒りを覚えたり、憎んだり、
恨みに思ったりすることがある。
それは、自分に大切な何かがあるという証拠でもある。
大切な何かが、傷つけられたり、ないがしろにされたりすることが
我慢できないって気持ちがあるからだ。
だから、誰かに対するマイナス感情が浮かんだときは、
まず、自分が何を大切にしようとしているのかに意識を向けてみる。
すると、マイナスな気持ちから離れることができる。
<許されたい>
ところで自分は、誰からも怒りを抱かれたり、憎まれたり、
恨みに思われたりせずに生きることができるだろうか?
残念ながら、私たちは知らず知らずのうちに、
誰かを傷つけてしまったり、嫌な思いをさせてしまうことがある。
自分の意識は、注目していることに向けられ、
その他に対しては注意力はお留守になってしまうもの。
うっかりや、気づかずに、ということはあるし、
ときには、わかっていても失敗してしまうこともある。
自分もやはり誰から許してもらいたいもの。
<誰かを許すことは自分も許すこと>
誰かを許すことは、自分が抱いている
マイナス感情も手放すことができることでもある。
また自分も許されたいとなれば、誰かがあなたを許してくれる必要がある。
許すのはお互い様であり、巡り巡って自分が許されることなのだ。
マイナス感情を手放す機会を持つようにしたいもの。