気づきの伝道師 藤井一規です。
勇気を示すときって、どんなとき?
誰かがみているから頑張っちゃうってこともあるかも。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14067/
この記事の目次
「真の勇気は第三者のいない場合に示される」
by フランソワ・ド・ラ・ロシュフーコー (仏の公爵、モラリスト)
誰かがみているから出そうとする勇気もある。
誰も見ていないところで出す勇気。
もう少し掘り下げていく。
<人との関り>
誰かがみていると感じるとき、
自分はどう思われるだろうか?とか、
この人の前でいいところを見せようといった
意識が働くことがある。
人は誰かとの関りを持とうとするもの。
だから、相手からどう思われるかを意識することは、
ある意味自然なことと言える。
勇気を出さなければ、できないことがあるとき、
誰かがみているところでするのと、
誰もいないところでするのとでは、
やはり違いが生まれてくる。
<他人の目>
他人の目があるとき、
それを背中を押すものとして活用することもできる。
いい格好を見せたいというのも、たしかにモチベーションのひとつになる。
また、つい緩んだり、怠けたりするのを止めるために
意識するという方法もある。
うまく活用すれば、自分の成長にも役立っていく。
しかし、人の見ているところでしかやらないとか、
人が見ていないから怠けてしまうのでは、
やはり問題がある。
<自分の中の基準>
何をもって取り組むのか、やらないと決めるのかは、
誰かが見ているかどうかを基準にしていたら、
そのたびごとにあなたの判断基準は異なり、
あなたの行動はぐらついたものになってしまう。
自分の中に、明確な基準をもっていたほうが、信頼を得られる。
変更してはいけないというわけではないが、
一貫性があるほうが、安心を与えることができる。
<真の勇気>
勇気が必要な場面だとしたら、
誰かが見ているからやる、やらないという判断をするのではなく、
誰もいなくても、自分の基準でやる。やらないを決めていきたい。
とはいえ、人の前で演技するようなことは
たくさん行われている。
こうしたパフォーマンスであふれているといってもいいくらい。
観客はモチベーションにはつながるけれど、
観客がいなくても、やることはやる。
やらないことはやらない。
自分のあり方を今一度考え直してもいいかもしれない。