気づきの伝道師 藤井一規です。
見つめようとしても、なかなか見つめることができないもの。
それは自分自身。
どのようにしていけばよいのか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14731/
この記事の目次
「振り返らずに後ろを見るのと同じくらい、自分自身を見つめることは困難だ」
by ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(作家・思想家・詩人・博物学者)
自分を見つめることは大切なこと。
自分を見失ってしまうと、悩みの状態になってしまったりする。
もう少し掘り下げていく。
<自分を見つめること>
あなたは、自分自身を見つめることができている
と言えるだろうか?
自分自身を見つめることは、
気持ちの良いことばかりではない。
見たくないところ、変えたいところ、嫌なところも
存在しているからだ。
しっかり見つめようとすれば、
気づいて苦しい部分にも触れなくてはならない。
<嫌な反応のあるところ>
誰かに、あなたの欠点を指摘されたりしたら、
それを素直に受け留めることができるだろうか?
誰が言うか、どんな風に伝えられるかによって、
受け留め方は大きく変わるかもしれないが、
基本的には、自分の嫌な部分には触れられたくなかったりするもの。
思わず反論してしまったり、
自分のせいではない、と主張することって、
とても多いのではないだろうか?
<目をそらしたくなる>
そう、人は自分の嫌なところから、
目をそらそうとしてしまいがち。
もちろん、しっかり見つめることができ、
成長していこうとしている方もいらっしゃるに違いない。
しかし、多くの場合、目をそらしたり、
きちんと見ることができないままになっていたりする。
<望ましいところ、嫌なところ>
望ましいところも、嫌なところも
どちらもあって自分。
嫌なところはなかなか見つめることは難しい。
しかし、嫌だと思っている部分を拒絶する必要はない。
その部分によって、何らかの利益を得ていたり、
危険から身を守るために役に立っているはず。
そう、優れた面があるから続けていたりするのだ。
だからまずは、どんな役に立っているか考えてみる。
<より望ましく>
嫌な面にあるメリットがわかったら、
別の方法で同じようなメリットを得る方法はないか、考えてみる。
今とっている、嫌な行動の代わりになるものを。
その方法は、論理的に考えたものでなくてもかまわない。
ぱっと直観的に出てきたものでも良かったりする。
それが受け入れられるものなら、
実践に移していきたい。
少しずつでも、取り組んでいきたいもの。