気づきの伝道師 藤井一規です。
こうしたほうが良い、ということは誰もが知識として持っていたりします。
しかし、それを実践できるかというと、
できる人と、できない人とが出てきます。
どんな違いがあるのか、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14947/
この記事の目次
「真に知的な人は、他の人が知識として有しているだけのことを、身体で感得している」
by シャルル・ド・モンテスキュー(英の哲学者)
知識を持っていることと、その知識に従って自然に身体が動くこととは、
別の次元のこと、と言えるかもしれない。
もう少し掘り下げていく。
<知識と実践>
困っている人に親切にしたほうが良い。
これは、だれもが知っていることかもしれません。
しかし、それを実践するかどうかは、別のこと。
もし、直接頼まれたとしたら、
助けることができたとしても、
自ら進んで助けようとするかどうかというと、
する人と、しない人とに大きく分かれたりする。
もちろん、そのときの自分の状態にもよるところもある。
しかし、どれほど身体に落とし込んでいるか、
の違いのほうがはるかに大きいという。
そして、どこまで至っているかを示すのに、
学習の三段階と呼ばれるものが役に立つかもしれない。
<学習の段階「知識」>
学習の三段階のうち、最初の段階がご存知「知識」
人から聞いたり、本で読んだり、メディアやインタ―ネットで手に入れたり。
現代では、膨大な量の知識を手に入れることができる。
今やほしいと思ったもののほとんどを手に入れることができると言ってもいい。
もはや、知識に押し流され、波にもまれてしまっている状態になっているかもしれない。
いずれにしても、まだ「あ、そうなんだ」というレベルだ。
<学習の段階「見識」>
知識を単なる情報ではなく、その情報の本質は何なのか?
その意味するところは 何なのか?
考え、判断を加えたものを「見識」と呼ぶ。
単に目の前のことだけに意識を奪われず、
長期的な視点や、もっと幅広くとらえてみたりして、
本質に近づくものだ。
これは、借り物でも良かった「知識」とは違って、
自分なりに咀嚼され、自分のものとなっている。
<学習の段階「胆識」>
そして、「見識」を実際に日々実行するレベルに到達するのが「胆識」だ。
すばらしい見識を持っていても、実行されなければ、
成果が出てくることはない。
成果を上げるためには、「見識」に基づいて身体が動く状態になっている必要がある。
頭の中だけの世界から、
心を動かし、身体を動かして実践できるレベルに到達していきたい。
プロと呼ばれる人たちが、何年たっても基礎基本を繰り返し、
身体に染み込ませているように。
そうなって初めて、真の知性を持つといえるようになる。
この段階に至ったものを持ち合わせていきたいものだ。