気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、成長していく過程で
たくさんの学びをしていきます。
特に親から、そして教師から学ぶことはたくさんあります。
ところが、それだけではどうも足りないことにぶつかることになります。
しばらく掘り下げていきます。
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この記事の目次
「私たちは三つの教育を受ける。一つは両親から。もう一つは教師から。残りの一つは社会から教えられる。そしてこの三番目は、初めの二つの教えにすべて矛盾するものである」
by シャルル・ド・モンテスキュー (フランスの啓蒙思想家、法律家、歴史家)
両親や教師から押してもらったことと、
社会から教えてもらうこととの間には、大きなギャップがあることが多い。
親もまた、社会人になっていくうちに、親や教師から教えてもらってきたことには
矛盾があると思いながらも
再び子供には純粋なだけの教育をしていたりする。
もうしばらく、掘り下げていく。
<理想と現実>
正直であれ。
親であれば、子どもにそう教えるだろう。
私もそう言われてきた。
しかし、社会生活をしていくと正直者が痛い目に遭って、
ズルい人たちが、利益を得るような場面に出くわすことになる。
親は、「正直者はバカをみる」とは教えない。
しかし、社会は理想通りではない。
近年は、知らない人にはついていかない。
知らない人の言うことをうのみにしない。
ということが幼い頃から言われるようになった。
誘拐や、不審者対策のためだ。
私の子どものころは、人のことは信じましょう。だった。
最初から理想的な、純粋な教えから外れざるを得ない、ことは残念なだけれど、
社会から学ぶことが、それまでの親や教師の教えとことごとく違うことへのギャップには
誰もが戸惑ったことがあるだろう。
<ギャップを埋める>
理想的なことは理想として伝えることは大切だ。
ズルいことをして、お金持ちになった人を祝福する気持ちにはなれない。
誰かをだましたり傷つける人を素晴らしいと称賛する気持ちにはなれない。
こういう気持ちになれるのはうれしいことだ。
しかし、現実社会とのギャップについても、
社会に出ていく前に予め学んでおいたほうがいい。
親や教師も、ただ理想を教え込めばよい、というものではないはず。
社会に出て、独り立ちするときになって、
純粋無垢なままではあまりにも危険だと知っていながら、
その準備をなにもさせていないとしたら、やはりおかしい。
<生きる知恵>
親や教師も、同じ矛盾を抱えてきたはず。
伝えるべき明確な答えなんかないかもしれない。
それでもいい。
子どもが独り立ちして、生きていくことができるようにすることが
親や教師の重要な役割のはず。
本当に大切にしたいものは何なのか?
子どもたちと一緒に考えることで、
いままでもやもやしていたものが、明らかになり、
子供だけでなく、親や教師も成長できるかもしれない。