気づきの伝道師 藤井一規です。
自分が非凡であったらと、
思うかもしれない。
平凡はどうでもよいようなものなのだろうか?
今日は、非凡と平凡とについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「平凡なことを徹底してやると、平凡の中から生まれてくる非凡が、いつかは人を感動させると信じています」
by鍵山秀三郎(実業家)
非凡であったらいいなと思いつつ、
自分が平凡であることにも気づいている。
人はそういうものなのかもしれない。
しかし、平凡の中から非凡が生まれてくるのだと、
鍵山さんは伝えている。
どういうことなのだろうか?
<非凡とは?>
非凡とは、普通とはちがっていて、
特に、優れたほうの違いについて使われることが多い。
いろいろな人のデータをたくさん集めて統計を取れば、
なんらかの分布を示すことになる。
多くは、真ん中あたりの数値が多くなり、
大きくなればなるほど、
小さくなればなるほど、
対象のデータは減っていくもの。
こうした、両端に属するデータを持つ人を
非凡ということが多い。
ある意味、変り者とも言えるかもしれない。
<平凡とは?>
多くの人が、おなじようにやっているとしたら、
まさに平凡ということになる。
誰にでもできるようなことで、
ありふれていて、特徴がないだけに、
ぞんざいに扱われることも多い。
まあ、こんなものと思ってしまい、
雑に扱われてしまう。
だから、平凡なことであっても、
丁寧に扱い、徹底して取り組むと、
誰にできることでは終わらずに、
あなただけのオリジナルが生まれ始める。
<平凡の中からこそ非凡を>
鍵山さんは、平凡の中にこそ、非凡の種はあると考えた。
鍵山さんといえば、掃除を想い出すが、
誰でも掃除をすることはできる。
しかし、多くは、しなくちゃいけないから、
汚いのはいやだから・・・
どちらかといえば、逃れるための、
恐れの選択として掃除をしている。
そうしていると、
掃除がもたらしてくれる、
プラスの効果に気づかずに通り過ぎてしまう。
しかし、掃除を単に面倒なものと捉えずに
自分の関わる場所を自ら美しく保つものと捉えれば、
自然に大切にしようという意識が生まれる。
自分の関わる場所を大切にする心は、
そこにやってくる人たちとの関係にも影響していく。
掃除には、こうした素晴らしい効果があることを見落としてしまいがち。
日常に当たり前にあることだからこそ、
大切にすることができると、ちょっとの違いが大きな効果を生んでくれる。
また、どんなにちょっとしたことであっても、
誰も真似できないくらい数をこなせば、
やった人だけにわかることが見つかったりする。
平凡のなかから生まれてくる非凡こそ、
大切にしていくというのはいかが?